「○○には恐ろしい陰謀が隠されている!」
「これから△△に危険な××が起きるらしい」
…といった話ばかりを好んでする人っていますよね〜
実際にはそのようなことが証明されることはほとんどありません。
でも、低い確率ですが…言ったとおりの事件なんかが起きることもたまにはあります。
そのときにこの陰謀論者は
「はらっ、言わんこっちゃない! 日本はもうおしまいだ〜! 」
と悲壮感たっぷりに…(でも、どこか嬉しそうに…)叫ぶのです。
報道番組とかでこういう光景をよく見ませんか?
その人たちは、大きな事件が起きるのを今か今かと待っていたんだと思うのですよね…
裏に悪いことが隠されていることを望んでいるんだと思うんですよね…
こんなことを言うボクだって、重大な機密を暴くようなシーンに居合わせたとすれば、野次馬根性を出して見に行くとは思います。
そりゃあ、なんだか面白そうですもんね!
そして、陰謀論みたいなものにだって興味は持ちますよ。
でも、子どもの頃よりその関心のレベルは下がったように思います。
それはナゼかなぁ・・・と考えてみたんですが・・・
子どもの頃は自分の思い通りに世の中を動かすことなどほぼ100%できないので受身になるしかなかった。
それで、世の中に対しては劇的な変化を求めるようになる・・・
でも、大人になるにしたがい、努力することによって実際に世の中を変えることも夢ではなくなった!
その結果、自分の計画・行動に興味・関心の比重が移っていった!
…そういった理由なんではないかと思うのです。
目標に向かい計画を持って生きていれば、その進行を妨げるような余計な事件はやはり煩わしいです。
もちろん、現実以外にロマンを求める生き方もアリだとは思います。
ただ、現実を悲観視する自分に満足してしまうっていうのは、現実と立ち向かう覚悟ができていないってことなんじゃないかな。
職業選択する際にもそんなことを少し考えました。
マスコミを志望していた時期もありましたが、いつのまにか広告関係を目指すようになったんです。
「現実と向き合って、生きていこう! 広告は現実の経済活動を支えていくんだ…」という気持ちがあったように思います。
…こんなことを書いていたら、思い出したブログがありました。
以前、話題になった梅田望夫さんのブログです。
やはり名文ですね〜
オプティミズムとは、まったくもって「意志」の問題なのである。死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ、ということを、僕はいまも相変わらず言い続けたいのである。
(悲観主義とオプティミズムより)
「オプティミズム」・・・いい言葉です!
語感からしても、「楽観主義」より「意志」を表現しているように思います。
この梅田さんの文章からとても勇気をいただいたのを思い出しました。
どんな状況下でも、あらゆる未来の可能性は自分の手の中にあるのだと思い続けていきたいです。


